15年前、東日本大震災の被災地で聞いた言葉
そして今、私たちが福祉防災を続ける理由
東日本大震災のあと、テレビでは毎日のように東北のニュースが流れていた。
避難所の様子。
被災した人たちの声。
しかし、その中でほとんど聞こえてこなかった声がある。
障がい者や高齢者の人たちは、どう過ごしているのだろう。
そのことが、ずっと気になっていた。
福岡で交わされた言葉
震災後、福岡でも
「もし同じような災害が起きたらどうするのか」
という話し合いが行われた。
しかし、そこで出てくる言葉はこうだった。
「どうしようもないね…」
「怖いね…」
「もう死んでしまった方がよかね…」
誰も悪くない。
ただ、どうしたらいいのか分からないのだ。
その言葉は、今でも忘れられない。
現場の声を聞くため東北へ
私たちハッピーライドのメンバーには
-
障がい当事者
-
障がいのある家族を持つ人
がいる。
だからこそ思った。
現場の声を聞かなければ、何も始まらない。
被災地で何が起きたのか。
障がいのある人たちはどう過ごしたのか。
その経験を福岡に持ち帰り、
これからの災害対策に役立てたい。
そう考え、
障がいの種類ごとの災害マニュアル作りを目標に
東北へ向かった。
気仙沼では、震災前に寿司店を経営していた
鈴木さんとインターネットでつながり、
被災地を案内していただくことになった。
訪問したのは
-
気仙沼市障がい者生活支援センター
-
社会福祉法人洗心会 生活介護事業所「夢の森」
-
ワークショップ「ひまわり」
そこで、震災当日の貴重なお話を聞かせていただいた。
「何か違う」という直感
職員の方々は、震災当日をこう振り返る。
地震が起きたとき、施設の中にいた。
津波警報は聞こえなかった。
この地域では地震は珍しくない。
最初は「いつもの揺れだろう」と思っていた。
しかし、
何か違う。
理由は分からない。
でも「大変なことになる」という感覚があったという。
その瞬間、
職員たちは利用者を守るため
安全な場所へ誘導を始めた。
やがて電気が止まり、
施設は真っ暗闇になった。
何が起きているのか分からないまま
寒さと不安の中で一晩を過ごす。
それでも皆で励まし合いながら
必死に乗り越えたという。
マニュアルはあった。それでも想定を超えた
避難誘導は大変だったのではと聞くと
職員の方々はこう答えた。
「訓練もしていましたし、マニュアルもありました。
だから動揺はしませんでした。」
しかし、必ず続く言葉があった。
「でも、今回は予想以上でした。」
施設の職員は
自分の家族の安否も分からないまま
24時間体制で利用者に付き添った
という。
車椅子の利用者を抱えて屋上へ
鹿折地区の市民総合福祉センター「やすらぎ」。
地震の時、
障がい者生活支援センターには
まだ利用者がいた。
地震でエレベーターは停止。
そして約40分後、
津波が到達した。
2階まで浸水した。
職員は
-
車椅子の利用者
-
歩行困難な利用者
を抱えて階段を上がり、
屋上へ避難した。
この建物は
避難場所に指定されていた施設だった。
それでも被害を受けてしまった。
「広いサロンも、新しい事業も
全部なくなってしまいました。」
その言葉の重さを、
今でも忘れることができない。
車が流され、歩いて安否確認
センターの車はすべて津波で流された。
唯一残った公用車も
燃料がなかった。
そのため職員は
何時間も歩いて利用者の安否確認をした。
まだ連絡の取れない人も多い。
そして職員の方はこう言った。
「生きていたら『よかったね』
見つかったら『よかったね』
葬儀ができたら『おめでとう』」
それほど厳しい状況だった。
なぜ多くの人が津波に巻き込まれたのか
防災意識は決して低くなかった。
それでも被害は大きかった。
理由として語られたのは
① 津波の高さの誤解
6メートルと聞き、2階に避難した人が多かった。
② 車での避難
車椅子での移動が大変なため車を使う人が多く、渋滞に巻き込まれた。
③ 避難所への過信
避難所に指定されている場所でも被害が出た。
避難所で起きた問題
避難生活の中で
多くの障がい者が困ったのが
トイレの問題
身体障がい者は
洋式トイレでなければ使えない。
しかし、避難所には
バリアフリートイレがほとんどなかった。
さらに、車が流され
通学の手段がなくなり
特別支援学校の再開後も
通えない子どもたちがいた。
現在は
ボランティアが送迎をしているという。
そして15年後の今
この経験は
私の中でずっと残り続けた。
そして今、私たちは
福祉防災
という考え方で活動している。
防災は
「助ける人」と「助けられる人」を分けるものではない。
むしろ
障がい者の「できない」から
地域の課題が見えてくる。
-
トイレが使えない
-
避難が難しい
-
情報が届かない
その一つ一つが
地域の防災の弱点でもある。
「できない」は、社会のヒント
私たちは今、
-
真っ暗フェス
-
体験型防災イベント
-
共感型ワークショップ
などを通して
「できない」を体験する場
を作っている。
それは
弱い人を特別扱いするためではない。
むしろ
誰も取り残さない社会を作るためのヒント
だからだ。
避難所は、まだ未完成
避難所は
完成された場所ではない。
みんなで作っていく場所だ。
だからこそ
-
障がい者
-
高齢者
-
子ども
-
地域住民
それぞれの声が必要になる。
最後に
15年前、被災地で聞いた言葉。
「どうしようもないね…」
その言葉を
未来でもう一度聞きたくない。
だから私たちは
「できない」を見える化し、
地域の生存確率を上げる活動
を続けている。
災害は止められない。
でも
社会の設計は変えられる。
そしてそのヒントは
いつも
「できない」という声の中にあると思っている
