
僕は今たまたま歩けて、たまたま見えていて、
たまたま話せるある意味「LUCKY」と言える状態
誰も想像できなかった東日本大震災は(たまたま)大きな被害で深い悲しみを与えた
たまたまボランティアに現地に行った僕等は
たまたま障がい者が避難所にいられなかった話を聞いた
たまたま家が片親で親が夜遅くまで働いてた僕は
たまたま隣のおばぁちゃんの家でご飯を食べさせてもらい寝かせてもらって
たまたま損得勘定のない優しい世界の存在を知った
たまたま母親が優しい人で小さいころから慰問やボランティアに行っていた影響もあった
たまたま大人になってから視覚障がい者のおばぁちゃんに可愛がってもらってた
このたまたまが重なって僕はNPOを立ち上げ
災害時に避難する事をあきらめている人達の希望になる活動をしている
たまたま15年間活動を続けているし
たまたま今でも熱い想いで居続けることが出来ている
たまたま日本に生まれてきた僕は偶発的な「たまたま」を経験して
色んな事を見て聞いて考えて
たまたま「障がい」を持っている人に
「たまたまできない」事に申し訳ないという気持ちを持ってほしくないし
逆に、こちらこそ「不便な思いをさせてて申し訳ない」と思う
この関係こそ「お互い様の関係」で「共生」なんだろうなという結論に辿り着いた。
「たまたまできない」を「たまたまできる」僕が
前向きな言い方をするならば
たまたまできないがあったからこそ改善されてきた物は沢山ある
防災に絡めて言うと福祉避難所や女性視点の避難所
ペットボトルランタンなんかもそうだと
・・・した時に福祉防災の事前防災という観点から言うと
一刻も早く「たまたまできない」を集める必要があるように思う
遠慮なんかしなくていい
申し訳ないなんて1mmも思わなくていい
たまたまできない事があるのは
あなたが悪いのではなく、社会の準備がたまたま足りないだけ
たまたま配慮が足りないだけだからとも言えるし
たまたまできないをひっくり返すと社会課題を解決するヒントがある
障がいを『たまたまできない』と呼ぶのは
それをいつか『たまたま当たり前にできる』街に変えていくという、
ハッピーライドの決意表明であり
「たまたまできない」を集めることは、
災害で誰も取り残さない街をつくることになる。
